悩み

アドラー先生との会話とかって言ってますが、私の片思いなのですがね・・・

ちょっとわけあって、久しぶりにアドラー先生の関連の「嫌われる勇気」やら
アドラー心理学って何だったっけ?
というのを調べていました。

久しぶりに見返してみると改めて奥が深いなと感じています。

アドラー心理学の資料をまとめるために、結構読み込んだつもりでいたのですが
その後色々な知識が身についたり、経験したりした上で
改めてアドラー心理学を眺めると、あっ、これはこういう意味だったのか!
なんてことが出てきたりします。

全ての悩みは対人関係の課題って言い切りすぎでしょ!

とか昔は思っていました。
理屈では言いたいことは理解できないわけではないけれども
なんだかスッキリしない感じがしていました。
でも、全部って・・・と思っていました。

お金の問題とか、自分自身に対する劣等感であったりとか
そんな個人の事情や葛藤も、対人関係なのか?
などと思っていました。

で、当時何とか自分を納得させた理屈が
仮に、世の中に人がいなければ、お金を使う意味もないから
お金を使う必要もない。
多い少ないで悩むのも、他人との生活水準と比較したりするからだ。

自分自身に対する劣等感も、他人と比較して、劣っていると感じるから
と理解していた、させていました。

個人の内部では葛藤は存在しない

いや、こう書くと誤解があるかもしれないけれども
あらためてアドラーの基本的な考え方を見なおしてみると
そう言っているのではないかと思えてならないわけです。

どういうことかといえば、
個人はそれ以上分割できないものとして扱われている。
だから、体とか、心とか、考え方とか
行動とか、あるいは体の各パーツとか
そういうものは1個人の目的にそって、動いている
で、葛藤なんかがあったりすると、一見
個人の中でも矛盾した何かが存在しているように見えるんだけれども
実は一つの目的にそって見てみると全部つながっていたりするわけです。

で、たいていは、その共通の目的を見ていない、あるいは見失っていて
部分、部分の主張(例えば心と、考え方とか)を見るから
矛盾しているように見えるわけです。

だから、アドラー的な考えでみれば、そうなると
個人の内部での課題は存在しないという言い方になるのだと
理解できるわけです。

「全ての悩みは対人関係」の課題再び

そう考えた時に
仮に悩みの全部の集合が、あるとすると、
そこから我々が悩みだと思っている「個人の内部にある葛藤」
(個人内部の課題)はすべて取り除かれるわけですから、
残る悩みは対人関係の課題だけになるという理屈になるわけです。

なるほど

そして新たな疑問

その観点でいくと、社会というシステムを見た時に
結局1人1人もパーツでしかないわけですから、
社会全体の目的からみたら、個人個人の矛盾や葛藤は
存在しないはずなんですよね、、、

ま、それがWin-Winの関係だったり、三方良しだったりするのですが。

そのあたりが、対人関係のみといいきる部分でわからない点ですね、、、

あくまで人間視点で捉えていて、社会システムの視点に
移動したりしていないからなのでしょうか。。。

この辺りは今後の課題です。

Categories: 心のあり方

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