成功

コミットメントってなんだか辛い響きが・・・

結果を出すにはコミットメントが必要と言われます。
日産のカルロス・ゴーン会長のコミットメント経営や
結果にコミットなどの某ダイエットなど、様々なところで
コミットやコミットメントが登場します。

コミットメントというとなんだか辛い約束をさせられた気分になるのは
私だけでしょうか?
絶対達成だとか、無理を強いられる気がしてとてもつらい印象がありま
す。そうは言っても、コミットメントは必要と言われているので、つら
い思いをしないといけないのかな・・・
なんて、行動する前からとてもくらい気持ちになってしまいます。

果たしてコミットメントとはどんなものなのか?
コミットメントは本当につらいことなのか?
コミットメントを避けてしまう心理は何なのか?

自分の体験と分析を交えて書いていきたいと思います。

そもそもコミットメントとは何なのか?

三省堂ワードワイズウェブによると

コミットメント

コミットメント(commitment)は英語からきており、「かかわりあうこと」、「ゆだねること」「委託」「委任」、また「言質を与えること」「公約」「誓約」「約束」などを意味します。つまり、責任をもって関わること、責任をもって関わることを明言すること、責任を伴う約束をさします。また、金融分野では特に、有価証券の売買や売買契約をさします。

とあります。
何かをやるとするにあたって責任が付随してくることを指すようです。

で、ちょっと気になるのが「ゆだねる」というもの。
個人的にはこの「ゆだねる」というのは、倒れるか、倒れないかわから
ない何かに対して、それを信頼して、体重を預けるイメージがあるので
すが、果たして何にもたれかかるのか?

せっかく出てきたので、責任という言葉も出てきたので、一応こちらも
元を辿っておきましょう。

せき にん 【責任】
①自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。 「 -を果たす」 「保護者としての-」
②自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。 「 -をとって辞職する」 「だれの-でもない」 「 -の所在」 「 -転嫁」

今回の場合は、結果に対して何かを負うケースはあまり当てはまらない
ので除外しておきます。
(もちろん結果に対して負う部分もありますがそれは別の機会に)

個人的にはここでかなりの違和感があるわけです。

その違和感とは何かというと、心理学あるいはコーチング、その他もろ
もろの行動に関わるテクノロジーでは、Mustより、Want、
「ねばならない」より「したい」を重要視します。
ところが、結果をだすためには義務「ねばならない」が登場する。

なんだ、結局ねばならないが登場しなければだめなのか、と自分のなか
では多少のがっかり感がともないました。
そうなると1つの疑問がでてくるのですが、なんのために「したい」を
重要視しているのか?

ひょっとしてコミットメントは責任を伴う約束といっているけれども
義務感ではないコミットメントが存在しているのではないかという
希望です。責任も果たそうとするのではなく、責任に縛られることなく
結果的に果たすという感覚。
こういうものが存在するのではないかという希望です。

コミットメントで起きること

通常の目標達成で考えた時、
あることに対して、「したい」となった場合に、
それはあくまで「願望」「欲求」のレベルであって、必ずそれを行う
ものではありません。

たとえば、お昼ごはんに「カレーを食べたい」と思ったとして、
とりあえずカレー屋には向かうかもしれません。
ただしカレー屋が混んでいたり、カレー屋が近くに無かったりと何ら
かの障害があると、まぁ、いいかなと、途中で諦めてしまうわけです。

「したい」でもかならず目標が達成されないのは同じことが起きて
いると考えられます。

ここで義務にも登場してもらいましょう。
「カレーを食べなければならない」という場合。
絶対カレーを食べなければいけない理由なんて、私はちょっと思い
当たらないのですがカレーを食べなければ、この場合カレーを食べな
ければ困った自体が起きると仮定しましょう。

この場合、カレー屋が混んでいようが、カレー屋が近くに無かろうが、
昼休みが終わろうが「〜ねばならない」で多少の障害を乗り越えられ
ます。
だから、一見義務感「ねばならない」があると目標達成しやすそうに
感じます。「ねばならない」のデメリットは一回おいておきます。

で、カレーを食べることをコミットした場合です。
この場合は「カレーを食べたい」が、カレーを食べることを自分に
約束していますから「カレーを食べる」に変わっています。
未来からなず達成されることです。
そうすると、この場合もカレー屋が混んでいようが、カレー屋が近く
に無かろうが、昼休みが終わろうがカレーを食べに行くわけです。

で、こうしてみると、「カレーを食べねばならない」(義務感)と
「カレーを食べる!」(コミット)は一見似ているように見えるわけ
です。
どこが似ているかというと、多少の障壁を乗り越えるという点です。

このコミットしている状態では何が起きているかを観察すると1つに
は「カレーを食べる」という目標達成以外の可能性に目を向けて
いないということ。
もう一つはカレーを「食べなければいけない」という義務感には
なっていないということです。

目標から目をそらさない

1つ目の目標達成以外の可能性に目を向けていないとうのは、
できなかった場合、どうしようかという第2、第3の選択肢が用意され
ていないということいわば退路を立っているわけです。

つまり、目標に向かうか向かわないかの選択肢がない。
もう、目標にむかう方向しか存在していないのです。

だから、目標とセットになっている、多少の障害が存在したとして
も、それを乗り越えるための第2、第3の方法を考えるようになる
わけです。
(進む進まないの選択肢はないが、進むための選択肢は無数にある)

なぜこんなことが起きるのかというと、これは目標に対して絶対的
な揺らがないモノがあるから。
目標から目をそらしていないからです。
だから、目標が達成できないかもしれないとか思うとこの信念は
揺らぎ目標に向かわないという選択肢を考えてしまうわけです。

ある意味これは、目標は絶対に達成できるという信念の元に
何かにもたれかかっている状態に同じでしょう。

例えば、相手は絶対支えてくれるはずという信念のもとに
体重を預ける行為に似ています。
(本当は、相手は支えてくれないかもしれないけどそれを信じて
行う行為に似ています。)

では、目標達成においてこの体重を支えてくれる相手は
だれなのか?

それは、周囲の助けなのかもしれないし、あるいは目標を信じて
疑わないもう一人の自分に身を委ねているのかもしれません。

義務はそもそも目標達成できる自分を信じていない

ここでもう一つの義務感の話に戻します。
義務感で「〜ねばならない」となっている時点で実は、目標を達成
する自分をそもそも信じていない。だから逃げ出さないように、
義務というロープで縛り付けているに過ぎません。

だって、そうでしょう?
契約書などの条項で契約どおりのことをしなかったら、これこれ
の罰則を・・・というのって
相手を信じていないから、万が一のことに備えているからつける
条項です。

だから、義務感になっている時点で、実は目標達成から逃げ出し
そうな自分を縛っているに過ぎません。

実は目標達成をする自分を信じていないという点においては、
義務感もコミットしている状態からはかけ離れているわけです。
ロープで縛っているだけで、目標から目をそらそうとしている
自分にはかわりがないわけです。

目をそらさない目標とは?

ここで再度登場するのが、「〜ねばならない」と「〜したい」の
話です。
「〜したい」は目標がそもそも魅力的ですから、目をそらす必要
がありません。
むしろ、目標の方があなたの目を捉えて離さないわけです。
だから、束縛もされない。

そうなると、選択の自由があるわけですから、変な強制感も
ありません。でも一方で、「カレーを食べたい」のケースでも
様々な理由で障害を回避しきれずに諦めた場合もありました。

これは、どうしたわけでしょう?

同じ、「〜したい」でも何が違うのでしょうか?

では、カレーがどこにでも売っているカレーでなくて
例えば、超絶品カレーで、とても美味しいらしい、
食べた人はみんなこのカレーを食べないと一生後悔すると言って
いる、そのカレーも実は今週末で販売をしなくなり、今週末まで
の予定を考えると外出などしないのは、今日だけで。という条件
だったらどうでしょう?

ちょっと遠かったり、しても時間をとって行きませんか?
少し並んでみようという気になりませんか?
昼休み過ぎても並んでみようと言う気になりませんか?
場合によっては、有給を取るとか・・・

つまり、目標の魅力度が違うと、「〜したい」の度合いが違う
と行動のレベルが変わってきます。

だから、目標は安易な目標ではなく、より魅力的である必要が
あるしよりその目標の魅力を掘り起こしておく必要があります。

そして最後はエイヤッの気持ち

そして、最後「〜したい」から「〜する」、まさにコミットの
状態にするために必要なことは、エイヤッと決めてしまうこと。

たとえはよくないですが結婚などを考えて下さい。
相手が魅力的な人だけど、この人と結婚して良いのかな?
「結婚したい」けれども、もしもっと魅力的な相手が現れたら
どうしよう、相手にいやな部分があったらどうしよう
となると、これは決めていない状態。まだまだ、「〜したい」
だけの状態ですからこの状態ではコミットとは言えません。
で、もういっそ
「これ以上魅力的な人が現れない、現れても、相手にいやなと
ころがあっても、この人のよい点を見て生きていく」
「生活する中で一緒に幸せになっていく」
と考えられればエイヤッと決められます。

こうなれば、コミットした状態になります。

だから、最後は決めること。
で、決めることと言うのは、他の可能性を捨てること。
ある意味では退路を断つことなのかもしれませんが
決めるということはどこかに進むことなのですから。

そして、目標に向けて、実現したい未来を信じ切り、そこに身
を委ねる。多少の困難があっても、その方向に向けての最適解
を探していく。
こうすることがコミットメントなのではないでしょうか?

まとめ

いかがだったでしょうか?
コミットメントに必要なことは

  • 目標がより魅力的であること
  • 目標に向かって進むことを決めること(他の可能性を選ばないこと)
  • 実現する未来と自分を信じきること

だと考えます。

最後にドラッカーの名言を引用したいと思います。

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである。
計画とは、未来に関する現在の決定である。
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる。

あなたの実現したい未来が達成されることを祈っています!


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