「鏡の法則」って嫌いじゃないけど、ちょっとスピリチュアルっぽい感じがしていました

最近、色々な方とお会いしていて、「鏡の法則」とか「投影」なんて言葉をよく聞くんですが、この話の説明を受けているうちに、これ、コミュニケーション的に説明できるはなしだよな〜、って思いました。

社会人一年目の時、新人研修で「全ての事象は心の反映」って言葉をならって、その時は意味がわからず、ま、起きてる出来事は、自分の心が反映されている、自分の捉え方の問題ですよ程度に思っていました。理屈で説明しづらい部分もあるけれども、自分の戒めになる部分もあるので、そんなものかな、程度に思いつつ、出来事を変に悲観的に捉えないようにしようと思ってきました。

それから、十数年のちに、鏡の法則とかも耳にするようになり、そういうもんだよねと思いながら、どっかオカルト的だったり、スピリチュアル系のお話のように捉えていました。最近でこそ、なりを潜めていますが、元理系の身としては、説明がつかないものについては、経験則として存在することは、認めつつも、どっか受け入れていない自分がいるのでして、だから「鏡の法則」を認めつつも積極的に、使わない、言葉にしない自分がおりました。

が、どうやら、自分が体験してきたことや、身の回りで起きていることを説明するのに、必要そうな感じがしており、ちょっとここいらで、これを理論で説明するということにチャレンジしてみようと思ったわけです。

どうやら巷で「鏡の法則」なる本がでていて、読まれているようなんですが、私それを読んでいませんし、ひょっとしたら、その内容とおんなじこと言っているのかもしれませんが、ちょっとした自分のチャレンジとしても今時点の考えをまとめておきたいと思います。

前提をいくつか…

まず、説明するにあたって、前提を幾つかあげておきたいと思います。なんだか、学術論文チックになってきたな…

前提1
個人の中には、複数の立場の自分が存在していて、これが対立することで葛藤がおきている

自分の中に複数の自分がいると書くとなんだか多重人格者みたいな感じもするのですが、もっと単純な話です。

例えば、お菓子を食べたいけど、ダイエット中なので我慢しているみたいな状況。

自分1:お菓子を食べたい
自分2:ダイエット中なのでお菓子を食べてはいけない

食べたいと、食べてはいけないの2つの立場が存在していて、これらが対立しています。ま、これを葛藤だと位置づけておきます。
厳密に言うと、微妙に違ったり、色々あるのでしょうが、今回はおいときます。

前提2
個人の中の、それぞれの立場は、同じ刺激に対して、同じ反応をする

これは、どういうことかというと、例えば、「お菓子を食べたい!」っていう刺激に対して、自分2が

「いやいや、今、ダイエット中だし我慢しようよ!、それ食べると意味なくなるからダメだって…」
「何のためにやっているの?目的見失うなよ!」
「だから、お前はだめなんだよ」

とか、「お菓子食べたい!」って刺激を受けた時に、ある程度同じ反応を示すという前提とします。

同様に、自分1も、一定の刺激に対して一定の反応を示すとします。

「いやいや、今、ダイエット中だし我慢しようよ!、それ食べると意味なくなるからダメだって…」
➔「だって、食べたいんだもん」
➔「いやいや、食べたい時に食べないとストレスたまるよ」

「何のためにやっているの?目的見失うなよ!」
➔「食べたいんだから!」
➔「そんなの私の勝手だ!」

「だから、お前はだめなんだよ」
➔「何それ、あんたに言われたくない」
➔「あんた何様!」
➔「でも食べたい…」

こんな具合です。

前提3
葛藤の結果が、選手代表として、自分の外で表現される

葛藤の末、どちらかの自分が負けて、どちらかの自分が勝った場合、負けた方は、我慢や居場所を認められず、虐げられた状況になります。お前は黙ってろと言われて、仕方なくだまっています。
でも、日の目を浴びる機会を、じっとこらえて待っています。

一方で、勝利した自分は、代表選手として頭の外の世界で表現されます。「ダイエット中は、お菓子を食べてはいけないんだ…」

前提4
代表選手は立場が弱くなると、攻撃まはた反撃に出る

なんらかの状況で、立場が弱くなるとその立場が攻撃または反撃にでるものとします。
ちょっとこの状況はあとで説明します。

相手(鏡)が登場するとどうなるのか?

前の説明の前提を元に、相手が登場します。

ここで、相手側が、自分が勝利したはずの自分(今回の場合は自分1)と同じ立場をとっている場合に目が行くはずです。
(葛藤の結果処理した自分と同じ立場の人には腹も立たないはずです。)

 

 

ここで、せっかく自分の中で「負かしたはずの自分1」と同じ立場を取る(代表選手が自分1)相手が登場します。
そうすると、自分の頭の中で、不満が起きるわけです。

「なんだ、俺ばっかり我慢して!」

勝利したはずの、自分2は、せっかく力で統治したはずの自分全体が崩れるのが怖くなるわけです。ま、農民の不満を無理やり、抑えていた領主様が農民の不満がいよいよ、頂点に達して、まずい!と感じるようなものです。そこで、攻撃にでます。(これが前提4。相手が多くて立場が危うくなったので、相手をさらに駆逐しにかかるわけです。)
しかもその時のコミュニケーションは、前提2で言ったように、自分1に対して、やったコミュニケーションを取るわけです。
葛藤の最中に、自分1を押さえつけた方法です。

「いやいや、今、ダイエット中だし我慢しようよ!、それ食べると意味なくなるからダメだって…」
「何のためにやっているの?目的見失うなよ!」
「だから、お前はだめなんだよ」

当然攻撃された相手側の代表選手も、自分の葛藤に勝利してきたのですが、勝ったはずの相手みたいなやつ、しかも頭の中のやつより強力なやつが、攻撃をしかけてくるわけです。

「これはまずい!」

となり、反撃にでます。(前提4)
しかも、相手の攻撃の中で、特に自分の頭の中でやりあった、刺激に対して強く反応します。
相手側でいえば、自分2を我慢させたやり方で反撃してくるわけです。

「だって、食べたいんだもん」
「いやいや、食べたい時に食べないとストレスたまるよ」
「そんなの私の勝手だ!」
「何それ、あんたに言われたくない」
「あんた何様!」

上が、「お菓子を食べたい!」を元に、鏡の法則をコミュニケーション的に起きていることを説明しましたが。
あらゆる面で、こうしたことが起きていると考えます。
鏡の法則というより、投影なのかな…

いやいや、似たような葛藤を持っていない人もいるはずでは?

そうなってくると、次に気になるのは、世の中、「自分と同じ葛藤」を持っている人ばかりではないはず!
それなのに、全部鏡の法則では説明つかないでしょう?

ということになります。

そのとおりです。世の中、全員同じではない。
だから、当然、違う葛藤をもっていたり、むしろ全くもっていなかったりする人もいます。

でも、よく思い出してください。
大抵の場合、自分が気になる相手(特に、あいつはこうすべきだ!)みたいに思える相手は、
自分の中で押さえつけている部分、律している部分だったり、自分を責める時のやり方に似た攻撃をしませんか?

逆にそれ以外のことをしている人は気にならないのです。
自分の葛藤の結果と真逆の結果を表現している、あるいは、押し込めた自分を攻撃してくる時と同じやり方で、攻撃してくる人が気になるわけです。

気になった結果、自分の頭の中と同じコミュニケーションをとる。
そうして、晴れて自分からしかけて、バトルを再現しているのです。
(相手からしかけられる場合もありますが…)

では、バトルを勃発させないには、どうすればよいのか?

気になるところです…

そいつは、次回以降ということで…


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